星組『RRR』と『Violetopia』を観劇した。
あの痛ましい出来事のあと、初めての宝塚の観劇となる。
奇跡的に二次抽選で1階A席だが、当たった。
オペラグラスを忘れた。
これまで宝塚観劇で、オペラグラスを忘れたことなど一度もない。いつも家を出るときに、忘れていないかチェックする。
やはり以前ほど身が入っていないことの表れか。
RRRもショーも、礼さんがあまり目立っていなかった。
1789の二の舞とならないように、礼さんの負担を少なくし、以前のように歌と踊りも礼さんがひとりで背負っている状態を回避したからであろう。すなわち以前より出番が少なかったということだ。
なぜ出番が減ったら、目立たなかったのか。あとでちょっと述べてみる。
ショーであまり目立たなかったのは、衣装もみんな同じような服で、トップスターを前に押し出すようなつくりではなかったからだと思う。後半の宝塚の王道に沿った群舞、デュエットダンスでは、礼さんはちゃんと目立っていたから。
暁さんの勢いがすごかった。礼さんを喰ってしまいかねないほどの勢い。礼さんが目立たなかった理由としては、暁さんの追い上げがあるだろう。歌も、もう一段階上手くなっていたように思う。
礼真琴ファンとしては、芝居もショーも、ちょっともやもやしながら観ていたわけだが、ショーの後半の第7場「孤独」。礼さんは圧巻だった。
静かな歌とコンテンポラリーダンスのような表現で、劇場の空間をひとりで支配する礼さんの姿があった。歌や踊りを通して、精神性まで表現できるのは、今の宝塚では礼さんだけ。わたしはそのとき、外部の舞台に主役として立つ礼真琴を想像した。
宝塚の舞台では男役は、大柄な人が目立つ。暁さんを見てそう思った。
礼さんがトップになったのは、まずはスターとしての輝きがあるから。
そして身体的な不利を、非凡な歌とダンスで埋め尽くすことで、抜群の人気を誇ってきた。
柚香さんのように、ショーで2番手以下にも多くを任せて、自分は要所要所に出てくるだけで、目立つタイプではない。歌い踊りまくって、観客を圧倒してきた人。だから歌と踊りの数が減ったら、物足りなくなってしまった。
でもそれは宝塚での話。宝塚スタイルでの脚本やショーでの話。
外に出たら、礼さんは体力の限界まで歌い踊りまくらなくても、少しの歌や踊りであっても、よい脚本に出会えれば、その高い表現力で人々を魅了できる。そう、礼真琴は一流の表現者だ。